一応オレは表向きには「絵を描く仕事」をしていることになっているものの、自分のHPを作ってはや十数年、実は今まできちんとした形で絵をHP上に掲載してなかったのだった。
それもこれも「仕事」という形で「キャラクター」を描いてばかりいたからで、このキャラクターとは言うまでもなく「版権所有物」または「知的財産」としてどこかの誰かが管理しているモノばかりだからだ。たとえオレ自身が骨身を削る思いで描いたキャラクターであっても、オレが権利を保有していない限りは勝手にHPに載せたりしちゃいかんのである。「オトナの世界ってキビしいなぁ」と子供のように呟いてみても、こればっかりは覆せない現実なのだ。
『ラジオトゥーン』は「仕事でない」キャラクターを作ってみよう、というところから始まったオリジナルキャラクター群の総称である。そしてそれは「仕事を始める前の自分」を思い出すことになり、結果的にはアマチュア時代の絵柄に戻ることにもなった。もちろんかなり恥ずかしいところもあるんだが、「描いてて楽」なのはナニモノにも変えられない魅力だったりするのだ。
オレは「篠原 保」という人間である。一般には「デザイナー」とか「イラストレーター」として。きちんと理解していただける方には「キャラクターデザイナー」とか「3DCGイラストレーター」という肩書きで紹介されている。具体的には肩書きから外れてしまう仕事も少なくないんだが、自分の中では「キャラクターに携わる仕事」をしている、という風に理解している。たぶんそれ以外の仕事はやったことがないし、やろうとも思わない。
一応プロフィールを付けておいた方がいいらしいので、この下に今までの経歴と作品歴は載せておいたから暇だったら見れ。

ところで今オレは自分のこと(一人称)を「オレ」と記し、いかにも傲慢で高圧的な口調で書いてるんだが、あえて言わせてもらえば、現実社会では小心者のオレにとってはこの「オレ」って一人称、すごく大変だし口調も重荷なんです、実は。


1965 鹿児島県鹿児島市に生まれた。思うにこの年は東京オリンピックに浮かれて仕込まれたベビーブームなのだ。

1966 最近知ったことだが、オレの誕生日はTOKIOの長瀬くんと同じなのだ。たとえ星座は同じでも、こうも運命が違うものか。

1967 名前の「保」は、当時竹脇無我の大ファンだった叔母が、あるテレビドラマの役名から採ったものらしい。愕然とした。

1968 今からでは想像もできないことだが、小さい頃は女の子のように可愛かったらしく、この頃の写真には女装させられてるのが多い。

1969 銭湯で溺れそうになったオレを祖父がフルチンで病院に運び込んだ話は、実家の近所ではすげえ有名な感動エピソード。

1970 初めての「お気に入りのオモチャ」はソフビのガルバンで、写真がアルバムに並んでいる。よりによってキャプテンウルトラかよ。

1971 幼稚園児なのに『ハレンチ学園』の単行本を集めてベッドの横に並べて、おまけに模写までしていた。オレが親だったら泣くぞ。

1972 怖かったので、いつも誰かと一緒に『仮面ライダー』を見ていた。この頃から番組を見ながらノートに登場怪人のスケッチを描くようになる。

1973 同じクラスの重信君と「どっちがよりカッコいいマジンガーZを描けるか」を争っていた。ちなみに常にオレが敗北していた。

1974 高校で再会を果たす国生君と、クラスの「お楽しみ会」で寸劇やってたことと、学級新聞作ったことしか覚えてない。

1975 両親が離婚したため、母方の祖父母の元へ引き取られた。つまりフルチンのじいちゃんだ。ちなみにオレの「篠原」は父方の姓で複雑な家庭事情。

1976 ミクロマンにどっぷりハマる。12月になるとテレマガのバックナンバーを敷き詰めて、その上で大の字になるのが幸せだった。

1977 貧乏でオモチャを買ってもらえないことをバネに、紙工作にはげむようになる。実家には今でもマシンハヤブサとかが残してあるらしい。

1978 中学では坊主頭が義務付けられていたのだが、頭頂部にハゲがあったので、そこにバンソウコウを貼って登校していた。三つ目がとおるかよ。

1979 第3次ウルトラブームの影響で、やみくもにオリジナルのウルトラシリーズ3年分の怪獣デザインを起こしたりする。後ですごく役に立った。

1980 ガンダムブームの影響で、オリジナルモビルスーツの同人誌を作ったりする。カシオのプログラム電卓FX-502P(懐)にハマる。

1981 鹿児島市立鹿児島中央高校入学。NHKでやってた『600こちら情報部』で伊藤高志さんの『SPACY』を見て、既に志望大学も決めていた。

1982 再会した国生君と自主映画制作を始めたこの頃から、割と後の人生が決まってしまっている。マイコン(死語)を手に入れ、ゲーム作りに没頭。

1983 主演(笑)と特殊効果を担当した8ミリ映画『シンデレラ・レボリューション』が完成。受験勉強も陰でがんばってたりした。

1984 九州芸術工科大学・画像設計学科に入学。郷里を離れ、福岡の学生寮で暮らし始める。学校へは伊賀電のコスプレで通っていた(恥)。

1985 1年先輩の故・加賀剛さんに誘われて演劇の世界に没入。最初にして最後の監督作品『デリンジャー』を撮り上げる。

1986 芝居してバイトして映画観て勉強してセックスして夜通しで語り明かしていた。何も特筆することのない、たぶん人生最良の時期。

1987 自分の劇団『忍者部隊』を旗揚げ。8ミリをやってた国生君の紹介で雨宮慶太カントクと知り合い、夏休みに『超人機メタルダー』を手伝う。

1988 大学卒業と同時に、雨宮カントクの主宰する有限会社クラウドに入社。この年はジライヤのゲストとかやってた。こっそり。

1989 『高速戦隊ターボレンジャー』でキャラクターデザイナーとしてデビュー。実はRXとかジバンも手伝っていた。こっそり。

1990 『地球戦隊ファイブマン』で大畑晃一さんと共に仕事ができて舞い上がる。鋼の鬼も飛影もガルビオンもみんな好きだった。あと『特警ウインスペクター』のモニターグラフィックとかデザイン作業のヘルプも。

1991 『ゼイラム』で初めてMacを使ったCGを手掛けた。月刊少年サンデーの『鉄機剣士・武王伝』で漫画用のキャラクターデザインを起こす。『特救指令ソルブレイン』はクレジットされてるものの、ほとんど仕事せず。ジェットマンはデザイン参加してない割に現場に出向いた回数は結構多かった。

1992 『恐竜戦隊ジュウレンジャー』では幹部系のレギュラーキャラクターと主人公の衣装デザインのみ担当。『Sculpt3D』を使い始める。3年ぐらい関わり続けた映像企画が『大予言 復活の巨神』として幕を閉じた。

1993 『五星戦隊ダイレンジャー』、だから墓石社長はマイケル原腸さん担当なんだってば。『ゼイラム2』『仮面ライダーZO』でCG担当。東映の大泉撮影所にしばらく通った。

1994 『忍者戦隊カクレンジャー』はやってて楽しかった。たださすがに「やり尽した感」もあって、結果的に戦隊はこれで卒業。『仮面ライダーJ』もこの年。

1995 『人造人間ハカイダー』のモニターCGを最後にクラウドを退社。色々あって公私共にフリーになる。『SMH』誌上で『outerface』連載開始。

1996 『超光戦士シャンゼリオン』で初めて主役ヒーローを含むほとんどのキャラクターデザインを手掛け、とりあえず大満足。

1997 PSの『PAL』でキャラクターデザイン、N64『デュアルヒーローズ』では更にポリゴンモデリングも担当。この年はゲームばっか。

1998 「クラウドトイズ」を立ち上げ、ゼイラムのフィギュアを作ってみた。作るのは楽だけど売るのは楽じゃないことを知った。餅は餅屋ですな。

1999 『トキマ・スチームヘッド』とか『変身サイボーグ99』とか、オモチャ関係とCGイラストの仕事ばかりのようだが、実際はミカヅキ進行中。

2000 タクティカルスーツのデザインとモニターを担当した『鉄甲機ミカヅキ』オンエア開始。『CG-HOBBY』誌上で『デビルマンサイバー』連載開始、即終了。

2001 大畑監督の『破壊魔定光』でクリーチャーデザイナーとして初のアニメ作品を担当。戦隊25作記念特需で赤いのばっか描いてた。

2002 久々に古巣の東映で『仮面ライダー龍騎』のクリーチャーデザインを担当。一応「仮面ライダー」と呼ばれるキャラクター(笑)も一部描いた。これまた古巣の『宇宙船』でイラスト連載『妄想戯画』を開始。アニメ参加2作目『SAMURAI DEEPER KYO』もこの年。

2003 もうほとんど『仮面ライダー555』でオルフェノク三昧。色の着け方を忘れた。シャンゼリオンの再評価特需もあったけど、シャンゼもほとんど色着いてませんし。

2004 本当は韮沢靖さんと『仮面ライダー剣』をやるはずだったんだが、「ニラサワテイストなキャラクターを無理して自分が描くことはないし、その方がお客さまのため」という理由でフェードアウト。なぜか『美少女戦士セーラームーン』(実写版)のデザイン作業にフェードイン。ミクロマン200Xもこの年から。

2005 『魔法戦隊マジレンジャー』で久々に戦隊に復帰。やっぱり戦隊は大変だ。どう大変かって、仕事の量がライダーの倍くらいある。ちなみにこの年、長男誕生。その頃描いていたのが[スノウジェル]。それと並行して『sh15uya』もこの年だったな。

2006 前年に引き続き『轟轟戦隊ボウケンジャー』を担当。また、何かの間違いで『リーンの翼』のメカニックデザインも手がけた。打ち合わせでは憧れの富野監督を前に緊張しまくりだった。他には単発で『牙狼スペシャル白夜の魔獣』もやってた。

2007 東映では更に引き続き『獣拳戦隊ゲキレンジャー』を担当。3年連続で戦隊やるのは本当にしんどい。他に何もできないくらい、からっぽになる。

2008 戦隊から『仮面ライダーキバ』担当へ30分ほど引っ越し。ファンガイアのデザインは大変だったけど、やってて超面白かった。もう1回やれと言われたらやらないけど。

2009 またまた『侍戦隊シンケンジャー』へ出戻りしつつ、なんだかんだで『仮面ライダーディケイド』もけっこうやった。便利に使われるのは非常に光栄なことだと思っております。

2010 シンケンジャー明けからヘルプ参戦する『仮面ライダーオーズ』までの半年は空白期間のようだが、極秘の企画でちょうど半年分ぐらいのキャラクター作業をやっていた。ちなみに企画は残念ながらオクラ入り。

2011 前半はオーズと並行して『海賊戦隊ゴーカイジャー』に参加。メインの韮沢さんのアシストという形だったので、奇跡的に実現したニチアサ1時間制覇だ。ちなみにオファーをいただいたのはほぼ同時期だったんです。この年、色々と思うところあって沖縄に引っ越し。

2012 引き続き『特命戦隊ゴーバスターズ』に参加。これもメインではなくデザイナー軍団の一員として。ヒマになるかと思いきや、前年から継続したアプリゲーム『ダークサマナー』のイラスト作業の比重が大きくなって大変だった。

2013 5月に『真・女神転生4』が発売。まぁ実際作業してたのは前年ですけども、発売後の風当たりの強さったらなかった。秋からは『仮面ライダー鎧武』がスタート。和風軍団のみ担当ってことでしたが、結局2〜3体しか描いてない。この年は『宇宙刑事ギャバンtheMovie』もあったか。

2014 仮面ライダー鎧武オンエア中にもかかわらず、『烈車戦隊トッキュウジャー』が開始して再びニチアサ1時間制覇した感。美術セット関係以外は久々の単独担当で老体にかなり堪えた。あとは『宇宙刑事NEXT GENERATION』も。

2015 引き続き『手裏剣戦隊ニンニンジャー』で幹部クラスのレギュラーキャラクターのみ担当。『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』で35年間夢に見続けていたガンダム初参加。50歳だし、もう死んでもいいかも。